思考のまとめ - その2

僕の経歴を少し書いてみることにする。

僕は神奈川県平塚市で生まれ、神奈川県横浜市で16歳まで育った。
決して僕の家族は貧乏ではなかったが、経済的に苦しかった時もたしかにあった。だからハングリー精神という原動力は凄まじいものがあるのは知っている。

9歳、10歳の時は1/35の戦車や戦闘車両のプラモデルを作るのが好きだった。そう、90年台に育った僕は街のプラモデル屋さんに行って祖父にもらったお小遣いを握りしめてどれにしようかと迷いながら決めるのが楽しくてしょうがなかった。

タミヤのパチッコンテストで2回続けてJr. 金賞を受賞したのは今でも誇りに思っている。タミヤは今でも僕のヒーロー的会社であるのだから。

11歳の時に初めて海外旅行に家族と行った。ペンシルベニア州ピッツバーグ近郊の街。乗馬などができて今でも覚えている。9.11の数カ月前だった。

ティーンエイジャーになってからは僕はプログラミングに夢中になった。12歳ごろに知り合いにVisual Basic 6.0を教えてもらったのをきっかけに自分ではeMbedded Visual Basic 3.0を使い始めた。そう。PDAのプログラミングの為に。

13歳の時もうひとつ始めたのが、Perlのプログラミング。今のSuper AI Search / Mohawk Searchの原型となるものを書き始めた。

学校での成績はいつも良かったほうだと思うのだが、あまり気にしていない。学力テストでは小学2年生の時にLanguageがPHS (Post High School)レベルだったのは、やはり今のライフワークである自然言語処理検索エンジンの作成に繋がっているのだと思っている。

16歳の時には早めにCBTのTOEFLを横浜で受験した。結果は300点中260点。PBTにすると620点らしい。この時ぐらいに僕は転校を経験した。辛い事もたくさんあったが、今となっては人生そんなもんだと思っている。

20歳の時にはGoogleの面接(面談)に呼ばれた。渋谷のセルリアンタワーにあった時代だ。結局僕は落ちたが、良い経験ではあった。

その後は今に続くわけだが、日本のお家芸である電子機器を輸出したりしていた。すぐに競争が激しくなり、今では趣味程度にしている。

今はデータマイニングや検索などをしている毎日だが、フィジカルなコンピューティングのアプローチがもっともっと世界に広まっていってほしい。とても尊敬している、MITメディアラボの副所長の石井教授のタンジブル・ビッツなどのように。

それで思い出したのだが、ダグラス・エンゲルバート氏の研究も再開したい。

この辺で終わりにしておく。