有限で無限のことをする。
ジョン・D・バロウ著の「無限の話」を読んでいて面白いことを見つけました。
- 作者: ジョン・D.バロウ,John D. Barrow,松浦俊輔
- 出版社/メーカー: 青土社
- 発売日: 2006/03/01
- メディア: 単行本
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あまり考えた事の無い、有限の時間で無限の事をする事。
僕の考えではもし時間と言う概念が無くなって、永遠に仮に機械を壊れなく動かせられるのなら、少しそれが可能になるのではないかと思っている。
無限ということ事態、時間に制限されていないので、リミットレス。ポテンシャルが無限に有ると言う事になる。しかし、現代の人間は残念ながら、地上では永遠に生きられない。時間が経てば、老化して、いつかは死に至る。
色々な宗教で死後の世界の説明は異なっている。だが、ほとんどの場合は永遠という、時間にとらわれない概念がある。
自分のDNAを全部保存して、未来にいつかそれから自分のクローンを作れたら、永遠に生きれるのだろうか?
仮に自分のクローンが出来ても、それは本当に自分なのだろうか?自分の思想や経験は現在の技術では保存できそうにも無い。だが、少しずつ、思想や個人的なものはクラウドに保存されている。クラウドが永遠に有るとする場合、歴史として未来の人が我々の思想を勉強するのだろう。
過去の経験、体験、思想などをビット化するのには色々意見が有ると思う。しかし、一個人の人間の能の記憶容量を超える物が仮に有るとして、そこに自分の全てをしまっておきたいだろうか?
記憶をデータマイニングしたりしたら、やはり怖い事が起きそうだと思わないか?誰にでも、楽しい、嬉しい思い出ばかり能に記憶されている訳ではないと思うので。
しかし、ポジティブな面から考えた時に、人間の日記、思想、思いをすべて後で振り返られるのは良い事だろう。ブログやEvernoteなどの技術により人間の記憶力は昔より仮想的には延びているのだろう。
無限大にコンピューターを使えるとして、使われるのはやはり未来予想やシミュレーションだろう。実際もう行われているのですが。
だが、一番大切なのは、恋人、親友、普通の友達、両親、親戚への又、からの愛だと思う。愛なしではこの地球は良くない。愛なしでは地球は住めなくなる。
どうか、皆無限大に愛を!(αγάπη)
平和を祈りつつ。
加藤翼